「人の可能性を潰す人」
可能性?
とぼけたこと言うな。
お前にできるわけねえだろう!
そう両親に言われて育った私は、悔しさをバネにして、次々に可能性を伸ばしていったと思う。
親に何か批判される事を言われるたびに、自分の可能性を主張し、うるせえやつだと怒鳴られて、バカにされながら生きてきた。
離れて住む私を愛してくれた祖父母の前で、「こいつはバカですから」と父親に頭を殴られ、何度恥をかき涙を流したものか。。。
私の今までの人生は、自分の可能性を伸ばす孤独な戦いだった。
時には両親と生きるか死ぬかの大げんかもし、何度、家を出て行けと言われたものか。
もし私ほど生命力が強くない普通の人なら、自死を選んでもう生きていないかもしれない。
早稲田大学も卒業し、今では日本美術家連盟の正会員となり、新構造社の委員に任命されて画家としてもプロになれ、山梨県のキャンプ場の管理人にもなれた。
理解者のいない家族に囲まれて、安心感の少ない人生を歩んできた。
ずっと危険で、荒野ばかりを歩んできたと思う。
私が40歳を超えて、なお両親は、私の可能性を潰そうとする。
「そんなの、できるわけないじゃん。」
母親は口癖のように私を非難する。
私が新しいことをしようとすると、決まって父親が激昂して「家を出て行け!」と、今だに怒鳴りつけてくる始末だ。
家を出て行けば良いと思うだろうが、私の社会的・職業的事情により出るに出られないのだ。
それを知っていてイジメてくるのである。
いつか見返してやろうと思って生きてきたが、気がついた時には両親はもう、何も自分からやろうとしないお年寄りになってしまった。
案の定である。
「人の可能性を潰す人は、自分自身を潰して命を粗末にする。」
こうやって、人に「できない、できない」と押し付ける人間は、逆に、人生のラストステージで自分の可能性を本当に滅ぼしてしまうのである。