「潔さ」
日本では一昔前は、男だったら一度言ったからにはどんなことがあっても曲げないという「潔さ」が、社会的美徳としてあった。
今も、高齢層にはその美徳意識が残っている方も多いと思う。
まあ、それをただの時代錯誤の頑固親父だとなじっているのが、現代人なのだろう。
それはそうと、人間関係おいては、一度約束したことを決して曲げない気持ちよさがある。
たとえ状況や形勢が途中で変わっても、約束通り、約束通りのことを行う。
それを「潔い」と言う。
たとえ自分に不利なことでも相手のことを思って約束を通す。
そこに、愛情や正義や道理について、人間同士の信頼感とさっぱり感が生まれるのである。
大胆不敵な決断をするだけが、潔さじゃない。
それは言い方が違えば、ただの身勝手とも言う。
それよりかは、言ったことをしっかり守ることのほうが、本当の「潔さ」なのである。
言ったからにはやろう。
有言実行というやつだ。
それは当たり前だが、別に男じゃなくたって、男女平等にやろうということである。
他者を巻き込んだ場合、有言実行は仕事や社会的義務になりうるので、どうしてもしなくちゃならない。
まあ、そのようなやんなきゃいけないことは容易である。
でも、自分に約束した場合、果たして「潔く」それを実行できるのかどうか?
別にやんなくても差し迫った問題もないし、ほっといても構わないものを、自分に約束してできるのかどうか?
そこに本当の「潔さ」があるのである。
例えば、もう酒はやめる。
だとか。
人を裏切らない。
だとか。
あなたには、自分に約束したそう言う自己裁量の事柄を、しっかり守れるのかどうか。
あなたの人間的品位は、その「潔さ」にかかっているのである。
一番美しいとすれば、それは無言実行というやつだ。
言葉にしなくても、決めたら必ずやるということである。
それは「潔さ」の中でも、きっと最上級のものだろう。
例えば、花に水をやるのに、いちいち宣言しないで、花のためを想ってどんなに辛い日でも水をやり続けられるかどうか。。。
やれたのなら、そんなに「潔い」ことはないだろう。
人間は、他者に宣言しなくても、決めたら、やることをきちっとやれる存在でありたいものである。
まあ、それができない人が圧倒的に多いのも、人間という存在らしさなのだがね。