「どちらか選べ」
物事には中庸さが大事だと、一般的に我々は幼少時から習っている。
だが、本当を言えば「極端さが必要」なのである。
二つ選択肢があって、どっちつかずな態度が一番良くない。
例えば、好きなフルーツが、みかんなのか、りんごなのか?
。。という時に本当はどちらも好きでも、どちらかに即答できた方が良い、ということである。
もっと言えば。。
痩せた女が好きなのか、太った女が好きなのか?
といった下世話な話から、
心が内向的なのか、外交的なのか?
政治的に右なのか、左なのか?或いは、体制的なのか、反体制的なのか?
宗教的に仏教なのか、キリスト教なのか?
といったデリケートな問題まで。
そういう事柄に対しても、どちらか一方の側に付いていた方が自分の社会的な立ち位置が明確になる。
その選択は、社会的に自分を表すのにどうしても必要な物差しで、自分が自分らしくあるには必要な要件なのだ。
そして、極端にどちらか片方に染まっている方が、物事はその一方向に好転していくのである。