2016年 銀座ギャラリー暁「暁展」展示風景
作者近影
「惰性を打ち破る刺激」
来る日も来る日も飽きることなく制作を続けても、芸術の道に終わりはない。
作品が一つ完成したからといって、それで完結ではない。
完結というのは永遠にない。
また次の作品が待っている。
飽きても、飽きた気持ちと顔を背けて向かい合い、いつもいつもコンスタントに作品は作らなくてはいけない。
だから、いつも刺激がいる。
作品を作るということは、惰性と、惰性を打ち破る刺激との繰り返しだ。
初めは面白いと思って表現していたことも、作品の数を重ねていけば色褪せてしまう。
そこから惰性は始まっていき、新たな刺激を注入しなくては惰性という泥沼から抜け出せなくなる。
だから、芸術家はいつも面白い刺激と触れ合ってなくてはいけない。
日常の中で触れ合う楽しい刺激から新たな制作手法を生み出し、それを作品に取り入れていく必要があるのである。
そうやって新手法で新たな作品を作ってみて、自ら作り出してしまった過去の惰性を打ち破るのである。
刺激が惰性を塗り替える。
つまり芸術家は、意識して日常を刺激的に生きる必然性も生じてくるのだ。
刺激と言ったって、激しいものばかりじゃない。
静かに深めていく気づきを通した刺激がある。
穏やかな風や波のようなものであっても、作者がそこに新たな感覚を見出せれば、それは強い刺激なのである。