『天地の痛み』F10
蒲田アトリエ神楽 額縁教室の様子(2022年春)
作者近影
「人類の歴史」
自分の考えていることなど既に先人がもう発想しており、結局新しいことなんか殆ど何にもないのだと気がつく。
ただその思想の内容を現実世界にどれだけ当てはめさせるかという試みは、まだまだ少ないのかもしれないし、その試みのために人類は長い時の経過を要してきたのだと思う。
結局、愛は人類を救えたのか?
一度は神の子イエス・キリストの磔刑死によって紀元33年に救いが成就した。
しかしそれからおよそ2000年経った今、なお人類はその愛によって救われているのかの答えは、まだ出ていないと言って良いだろう。
西暦が2023年にもうすぐなるが、キリストが生まれたことになっている西暦0年の頃と、人間の頭の中はあんまり変わっていないのかもしれない。
さまざまな地域で、さまざまな思想が展開され、さまざまな生活様式や宗教観で人は生きている。
キリストもあればマホメッドもあり、ブッダもあればゼウスや孔子もある。
ニーチェもいればソクラテスだっているし、日本では岡本太郎だっているじゃないか。
ただそれらに共通して言えるのは、自分の生まれる以前からある不条理な冷たい世界と、これから生み出していく愛と平和と勇気の世界とのぶつかり合いが、その時代を生み出していく、と言うことである。
つまり古さと新しさとの闘いが、いつの時代も時代を作る。
結局、新しいものには嫌でも旧体制との闘いが必ず待ち構えていて、逃げ出したくても心に体に血を流さなくてはいけなくなるのである。
人類史は常に新しい志を抱えた者たちによって、旧体制から勝ち取られたもので出来上がっていると言っても過言ではない。