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「問いかけから文章が生まれる」

『天地の痛み』F10

「天地の痛み①」【F10/ アクリル絵具、ジェッソ、ラッカースプレー、ジェルメディウム、布キャンバス、木枠)  〈165000円〉
「天地の痛み①」【F10/ アクリル絵具、ジェッソ、ラッカースプレー、ジェルメディウム、布キャンバス、木枠) 〈165000円〉
「天地の痛み②」【F10/ アクリル絵具、ジェッソ、ラッカースプレー、ジェルメディウム、布キャンバス、木枠)  〈165000円〉
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作家近影

Yutaka Michael Maria KAMEGAYA
Yutaka Michael Maria KAMEGAYA

「問いかけから文章が生まれる」

 

 

自分は頭がうやむやな時は、「どうしてだろう?」と、自分にも世界にも問いかけてばかりである。

夜中、エッセイを書き始める時もそうだ。

「どうしてそうなのか?」

「それはどう言ったことなののだろう?」

そう言う疑問形から文章を捻り出し始めることが常である。

 

エッセイを書くことについて言えば、疑問を呈しているうちになんとなく文章のあらましができ、最後にはスーッと書けてしまうのである。

自分にとって「なんでなのか?」と言う問いかけは、たとえ答えがないことであっても、とても必要なことなのだと思う。

 

それは理論的にと言うよりは、感覚的に問いかけており、なんでか?なんでか?と言っているうちに、手が勝手にキーボードを走り、エッセイ作品ができてしまう。

きっと神様が、文章を書く人間として、私の手指を使ってくださっているのだろうと思う。

私が「アーメン(=従います)」と唱えれば、神様が「よしわかった!」と書いてくださる。

そういった感覚だろうか。

 

このように私は、疑問形で自分と世の中のことを神様に問いかけ、私の背後にある神様の意思を代筆しているのである。

それが私のエッセイスタイルだ。