「いい加減さ」
人間は何事もバランスだ。
真面目にしている時もあれば、「いい加減」な時もある。
そうやって釣り合いをとっているから、心や身体を平安に保てるのである。
私は何事も生真面目すぎるくらいに取り組むが、実は私の本性はいい加減な人間なのだ。
そのいい加減なダメさ加減を自分でとてもよく知っているから、逆に気合を入れて人一倍頑張るのである。
人からは肝心なところの詰めが甘いなど言われる時があるが、それは、私の元来の「いい加減さ」に由来しているのである。
だから、最後まで神経を張り詰めて、私はやっと一人前の仕事をこなせるのだ。
ただ「私の場合のいい加減さ」とは、「普通のいい加減さ」と違う。
何かをズボラにしたりほったらかしにした結果、それが返って良い方向に奇跡的に進むのだ。
それは神様を信じているから、そのおかげなのだろうと思う。
そして私は何より、心のエネルギーをたくさん使っているために、疲れやすい。
仕事をやる、やる、と言ってやらない。
疲れていてそういう時もある。
心を人一倍こめて使ったために、動けないのである。
そう言う時に何故か、神様の強い力が働き、動けないで寝ているだけなのに、物事が好循環するのである。
まあ、「普通のいい加減さ」も良いものだよ。
いい加減だけじゃ人間は生きられないが、いい加減も大事にしておこう。
タレントの高田純二さんくらい、人前で面白く生きたって一向に構わないのだよ。
何事も真面目にしてちゃ、つまらないじゃないか。
砂糖を二杯入れるところを、三杯も四杯も入れったっていいんだよ。
たまには十杯入れておどけて笑ったっていいんだから。
羽目を外したって、ダラダラとぼーっとしてる時だって、あなたはあなたらしいのです。
何よりも、いい加減だから、厳しい社会の中で心と体の釣り合いが取れるのだよ。