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「生きるためには新しいチャレンジが必要」

「光の世界へ」F100/ミクストメディア
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Yutaka Michael Maria KAMEGAYA
Yutaka Michael Maria KAMEGAYA

「生きるためには新しいチャレンジが必要」

 

 

来る日も来る日も同じことの繰り返し。

人間の生活なんて大体はそんなものである。

しかし、何でもマンネリ化したものは腐っていく。

だからそのままじゃいけない。

そこに何らかの変化を自ら起こすかどうか。

その勇気で何かが変わる。

 

周囲や環境の変化を待っていても一向に変わらない。

あなたが新しい何かをアクションすることで、あなたが古い何かを自ら変えるのである。

 

この世の万物は必ずそうやって生まれ変わっていく。

花は、種から芽を出し、茎となって天空に伸びていき、蕾となって、花となる。

また人間は、赤ちゃんから幼児になり子供となった後、青年から大人になり、歳を長く重ねて老人になる。

石のような無機物だって、風で転がれば摩耗していき、何千年をかけてまんまるくなる。

それは、花にも人間にも良いものに変わろうとする意思が根源的にあり、意思を持たない石でさえも変わりたがっているのである。

皆一様に古い状態を変えていっている。

そうやって万物はいつも形を変えて一定ということがなく、変化の流れの中で生まれ変わりを繰り返す。

それは神様の与えた自然の摂理で勝手にそうなっているのだろうが、いつも自分が何かを変えようとチャレンジしているから、より良い形に変化できるのである。

 

例えば、頑なに変わらないことに固執している人だって、生きるための環境が厳しくなれば変わらざるを得ないのだ。

 

日本人は、貧しい人がとても増えたのに急激に物価高になって物が簡単に買えなくなり、今までのような浪費生活を送りにくくなった。

国民の半分以上が、何にもしない年金生活者と働かない大人でひしめき合っている。

彼らは貧しい人の代表例だが、なぜ貧しいのかといえば、新しい変化を嫌うために貧しいのである。

彼らが変わるとすれば、節制と労働という新しいチャレンジをするかどうかである。

節制とは、まだ使える物は使い続け、新しいものを買うのを控えることだ。

そして、労働する場合は新しい人間関係の輪に入っていく勇気を今一度持たなくてはいけない。

お金の欲しい人は人の輪の中で働くしかないのだ。

現代は、戦後の日本人のように慎ましく生きていくしかない時代に差し掛かっているのかも知れない。

 

歳を取っても働けるようシルバー人材センターも社会的に用意されているので、そういうところで世の中の役に立てばお金が手に入る格好になり、生活にも余裕ができる。

私は年金受給者の老人で、自分のボケ防止や体力の落ちないように自らアルバイトしている人を何人も知っている。

彼らはみんな気持ちも懐も豊かである。

 

このように、生きる環境が厳しくなることは、彼らを今より良くするための神様の計らいでもあるのだ。

変わろうとする意思は生きるために必要な、神様の与えた計らいなのである。

 

死にたい人は心の病んだ人以外、なかなかいない。

じゃあ、生きるしかないじゃん。

それには、新しい行動を起こすしかないでしょ!?

今のままじゃそのうちダメになるって話だよ。