「【道】について」
「決まった道を歩むのではない。道は自分の後ろにできる。」
そういう格言を、詩人・彫刻家の高村光太郎が生前に残していた。
もう、昔の人ですらそう言っているのである。
多くの人には、親に決められた道があるのかもしれない。
でも、その先に自分だけの目的はあるのだろうか?
たとえば、今の子供たちの半分以上は、小学校から受験勉強に囃し立てられ、有名進学校に行き、一流大学に行く道を、決められた道として歩んでいく。
果たしてそのルートの先に、子供独自の大きな目的があるのだろうか?
医者になって病者を救いたいとか、政治家になって世の中を変えたいとか、弁護士になって困窮者を救いたいとか。。。
はたまた私のように芸術家になって、文化を担いたいとか。
もちろんそういう子供は一部にいる。
だがほとんどは、そういう根本的な目的を持たない子供であり、ただ世の中の流れで「将来の安定した収入」を理由にその道に組み込まれている。
そういう流れは、もう私が小学生の頃からの30年前から脈々とあった。
それが招いた結果はどうかといえば、社会から逃げる大人や働かない大人が増えただけだと思う。
結局、その道が子供の心に深くストレスとなって突き刺さり、不安定に育ってしまったがために、社会でも組織でも家庭でも、役に立たない大人が増えてしまったのだと思う。
「心の病気」というジャンルに逃げ込むことで、存在理由を正当化された人間ばかりとなった。
また、一流大学に行けばお金が保障されているのかといえば、もう今の時代はそうではなくなった。
一部のエリートには当てはまるかもしれないが、ほとんどはそうならない。
本当に高所得を手に入れるのは、せいぜい1割いかないだろう。
日本社会が過去に比べてあんまり発展しなくなり、日本人全体がどんどん貧乏になり、収入も年収200万円いかない人で溢れている。
その中でほんの数%の識者だけが、何千万円と稼いでいるような構図になったようだ。
元々が資産家の人間や、自分の頭で考え動く人間だけが、裕福な暮らしができる時代に変わったようだ。
言われたことをやるだけの人間に用がなくなったのである。
コンビニレジの金銭支払い機や、ファミレスのロボットウェイトレスを見れば分かるだろう。
言われてやるだけのことは、ロボットの方が数段正確にできて従順なので、その仕事は人間にはもう任せなくなったのである。
これからも精密機械やロボットが人間の仕事を奪い、言われてやるだけの人間には本当に用がなくなる時代となるだろう。
自分の頭で考え、自分の思った通りに動き、社会の役に立つ。
そういう人間だけが、ぶっちぎりの高収入を得て自由に暮らせる時代に変わってきたのである。
何を仕事にして生きるのか?の目的。
働いて得る収入はいくら欲しいのか?の目的。
今これからの時代にその二つの目的を叶えるには、決められた道を行くというよりは、自分独自の道を作った方が良い。
整備されていない荒れ野を切り開いて、自分で道を作るほうが、その二つの目的が叶えられる時代となったのである。
「私は、道であり、真理である。私を通ったものはみな、天の国に入れる。」
このように、キリストは聖書で教えている。
イエス・キリストの生涯とは、ユダヤ教における「人心の不信仰」という荒れ野を切り拓いた、熱い歴史だった。
人類の歴史はいつの時代も、彼のように古い社会を苦労して開拓した者が、富も名声も本当に手に入れている。
彼らには、この世からもう天の国が始まっているのである。
「道」とは、キリストのようにラディカルな(革新的&根本的な)生き方を選択すると、真理そのものを生きて、その道を進んだ者が救われるよう、神様に創造されているのである。
あなただけの独自の道を是非、作っていこう!