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「生きた作品」

『CROSS』 38×27cm/ミクストメディア
『CROSS』 38×27cm/ミクストメディア
森木愛琥;長久保環:亀ヶ谷 豊
森木愛琥;長久保環:亀ヶ谷 豊

「生きた作品」

 

安易に作れるものなんか、私にとっては意味はない。

例えば、AI(人口頭脳)の力でボタンを一回押せばできるアートなんかに、私はなんの価値も見出さない。

それは見た目は本当に手仕事と遜色なく素晴らしく見えるかもしれない。

しかし、そのアートに個の人間の生きた証が反映されてますか?

そこに表された物や、空間や、様々な線や形を通して、その人間の生き様が滲み出るのが本当の芸術である。

つまり「生きた作品」である。

そういう意味では、人口頭脳には今生きる思いや意志や生きた証もなく、表面的に装飾だけされた薄っぺらな形だと私は認識している。

 

私はデジタルを肯定しているが、デジタルでも、人間的な泥臭い努力の結果、行き着いた形ならそれはアナログ表現だと思っている。

アプリの機能を自分なりに使い、指やマウスやペンタブレットを激しく動かすのなら、それは芸術作品だと私は認める。

その工程に、人間的努力がなされているからである。

だって道具が筆の代わりにマウスになって、支持体がキャンバスの代わりにモニターになるだけでしょ?

だったらアナログ表現ではないか。

 

やはり人間の力で、様々な創意工夫で、今その時に全力傾倒して自分の全てを押し込める。

芸術作品は、そういった汗を流した結果の「生きる作品」でなくてはいけないと思う。