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「私の信仰生活物語 ①」

2010年(30歳)復活徹夜祭にて受洗 霊名「ミカエル・マリア」
2010年(30歳)復活徹夜祭にて受洗 霊名「ミカエル・マリア」

「私の信仰生活物語 ①」

 

 

私はカトリックのキリスト教徒で30歳で洗礼を受けてから13年経った。

思い起こすと、この13年はあらゆる意味で「闘い」だった。

社会と闘い、己自身と闘い、芸術家としての表現や発表活動などでも闘った。

 

そういう闘いの中で、私は、所属教会の年上の信者たちに、今まで随分とバカにされてきた。

私は「キチガイ」だと思われていたのである。

そう、私は所属教会の中でも「闘い」だったのである。

社会的に私は「イエス様」と崇めれているのに、所属教会ではイジメの対象であったのである。

私はみんなの心の中で磔(はりつけ)にされて、心休まる余裕など今までの信仰生活で一度たりともなかった。

 

思い起こせば私が30歳で洗礼を受けた時には、所属教会の信者達は、私以外は全員20歳も30歳も年上の信者達やお年寄りの信者達ばかりであった。

なので、私だけが抜群に若すぎて目立ってしまった格好であった。

朝9時半の主日のミサに与る信者で、私は一番若かったのである。

そして今は完治しているが、その頃、私は難しい精神的な病を患っていた。

あと、自分でもいうのは烏滸(おこ)がましいが、綺麗で端正な顔立ちをしていたのである。

当時、私はヒョロヒョロに痩せたイケメンで、若くて、ルックスだけでも非常に教会内で目立ってしまっていた。

それで私が心の病だと周囲にわかってしまった時点で、「キチガイ」扱いを受け、いじめのターゲットにされてしまったのである。

もちろん、私の本当の真面目な心を理解して助けてくれる信者は幾人かはいたが、ほとんどの信者が私をよそ者や敵とみなし、無視していた。

私の場合、大人になってからの受洗(洗礼を受けること)が、「苦しい信仰生活」という「闘い」の始まりとなってしまったのである。

「救い」を求めて入った教会のどこにも、私にとっての「救い」はなかった。

 

例えば心無い方々には、「お仕事は何ですか?」とよく聞かれる。

それ自体が余計なお世話なのだが、「画家で、絵を描いている。」と答えると、「ヒマでいいですねえ。」と、今まで何度も嘲られている。

こちらとしては、芸術稼業は、私独自のキリスト教福音宣教の手段であるし、何しろ生活もかかっている。

ゼニにしなくちゃいけない。

明日死んでも良い覚悟で命懸けで、休む暇も無く仕事をしていることを、何にもわかっていないのである。

散々独りよがりの寸評を言った挙句には「そんなに良い境遇なのは、神様のお恵みですね。感謝しなくちゃいけませんよ。」などと、指図してくる始末だ。

私の何を知っていて、そんなことを言ってくるのだろうか?

 

まあ、それは氷山の一角で、他にも信者の心の無さを体験したことはたくさんある。

愛のあり方を教える教会の中に、嘲りを通して、口で他者を傷つける信者がまだまだたくさんいるのである。

これはカトリック教会が外に明かさない厳しい現実だと思っている。

 

まあ、この13年は教会内でも色々とあった。

神父やシスターや信者たちの、所属教会の異動もあれば、死んで神に召された方々もたくさんいた。

私はこの13年間、ほぼ欠かさず毎週日曜日の朝7時のミサに与り、教会内の雰囲気を私を通してだんだんに開放的で前向きな方向へと変えていった。

そういう中で、私は徐々に信者として力をつけ、教会内でいっぱしのキリスト信者として振る舞えるほどには成長した次第である。