「私の信仰物語②」
復活祭で分かったこと。
それは私がもう瀬田教会の現メンバーたちに守られている、という事実だ。
正確に言えば、私をいじめた連中はほとんどいなくなったか、影を潜めた。
そして、元々残っている心の清い者たちと、新しい信徒たちで、今の瀬田共同体は構成されているようである。
信徒たちの世代交代が進んでいることが、私にとって良い影響をもたらしてくれた。
私の教会での仲間とは、立場の弱い新しい信者であったり、回復の困難な病者であったり、集団から外れた孤独な者であったり、みんな心において貧しい者たちである。
信徒になってからの、この14年間、私はそれらの人々としか交流しなかった。
私の信条では、それがキリスト者としての本当の生き方であると信じていたからだ。
朝7時のミサに来るような人は、みんなそういう孤立した可哀想な人々だった。
悪く言えば「除け者」になった人々と、私はこの教会の中での交流を14年間続けてきたわけだ。
瀬田教会信徒にとって、第一線の主要なミサとは朝9時半のミサである。
彼らは朝9時半のミサに行きたくても行けない、さまざまな理由で第1線から外されてしまった人々であった。
そして、朝7時のミサは14年前は元々はシスター達だけの修道者のミサであった。
たくさんのシスター達の中に勇気を出して入り込み、私が信徒で一人だけ混ざり始まったのである。
そして14年経った今は、信徒の方がはるかに多い誰でも参加できるミサとなった。
私がそういう雰囲気やムードにコツコツ作り上げてきたのである。
さまざまな人が来る。
外国人であったり、障がい者であったり、社会的な立場の弱い人々もいらっしゃる。
たまに異教徒まで来る。
また、他のカトリック教会から来てくれる信者たちもいて、彼らとも仲間になった。
私は14年間、彼らと一緒にミサを捧げている。
私は信徒になり始めた当初から、朝9時半の第一線のミサから14年間退き、朝7時のミサに出ることで彼らの仲間として頑張ってきた。
そういう努力が身を結び、たくさんの信者たちが、この教会の仲間になってくれたのである。