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「今日は分からないことを雑記しよう」

HOLGA写真作品『京橋さんぽ』

モデル:アオキトモミ

HOLGAで撮影 有楽町ガード下吉野家 モデル:友人アーティスト・アオキトモミ
HOLGAで撮影 有楽町ガード下吉野家 モデル:友人アーティスト・アオキトモミ

「今日は分からないことを雑記しよう」

 

 

のどかで素朴な人間になりたいと思う。

牧歌的な平和に包まれて、自分の人生に対して「YES!」といつも肯定していたい。

反面、激しい複雑な人間にもなりたい。

何かのVIPになって、混み行った人間関係や組織を渡り歩き、様々な顔を持ちながら、世の中や自分に対して「NO!」をいつも突きつけたい。

そう言う相反する理想を描きながら、中途半端に私は生きている。

世の中はそのことを「中庸」だと言って私を褒めてくれるが、どちらつかずの態度というものが私は好きではないのである。

でもそれが人生というもので、私は悩むのだ。

 

そうだな、私の中に素朴な時もあれば、複雑な時もある。

易しくもあり、難しくもある。

どっちも私だ。

人間とは、瞬間瞬間で、状況や人に合わせて性格も変われば、態度も変わる。

だから、言葉一つで一方向に人格を規定すること自体が、私に限らず無理があるのだろう。

 

まあ、私もしがない人間だ。

ああ、ありきたりの人間だ。

それが一番楽で良い。

 

「イエス様は優しい。

でも時に、イエス様は怖い。全然優しくありません。」

「イエス様は柔和だ。

でも時に、イエス様は残酷です。全然柔らかくありません。」

 

たまに神父にミサでこんな対概念の言葉で、私の人格を否定的に修飾される時がある。

そんな時、私は最大に落ち込むのである。

 

「一体、世間の目から見た私は、どれが私なんだ!?」

 

どれも私で、優しい瞬間も、恐ろしい瞬間もある。

元々が、人間とは、ダイヤモンドのカットのように多面体の性格でできているのだから。

その人間の代表だって多面体で、てんでバラバラなのです。

 

私はそれを認めるしかない。

でもどっちつかずというのは嫌いだから、それを拒むのも私なのです。

 

ああ、今日はわからないことを書いた。

伝わりにくいことを書いた。

そうやって煩悶する私イエスも、人間なのです。