女性裸体画作品
作者近影
「職に殉ずる忙しさ」
昨日は仕事が本当に忙しくて、エッセイを書く時間が何にも無かった。
主に相模大野の神奈川支部委員会にて、出品要項の最終打ち合わせをしたのである。
それが終わって帰宅後も、会議の話し合いを元に原稿の最後の修正と、WEB入稿。
気がつけば夜23時であった。
そして実は次の日の朝早くには芸術村に行く。
なのでカートに荷物を詰める。
でもまだやらなきゃならない展示に向けた作品梱包作業が2つあり、それが終わって寝たのが朝2時であった。
で、2時間だけ寝て、朝4時に眠いまま起きて支度をし、朝6時、芸術村へと旅立った。
全く怒涛の忙しさであった。
実は昨日のカトリック教会ミサに、韓国に行った仲良しの日本人シスターが来ていて、何年かぶりに嬉しい再会を果たしたのだが、私の活躍ぶりを彼女は知っていて、「過労死しないように気をつけてね、本当に。」と心配されたばかりであった。
まあ、死んじゃっちゃあそこで人生は終わりだが、人からそう言われるようになったら、私の忙しさも本物だな、と思うようになった。
自由時間は遊ぶ余裕さえなくて、ただ体を保つために寝ているだけだ。
あとは、こうしてエッセイを書いている時間くらいだな。
自分で自分が忙しいと言ったって、それは別に泣き言じゃあない。
今の上質の忙しさが、実は気に入っているのである。
もう多分、今の状態が忙しさの限界なのであろうが、まだまだ私はこういう状態でこの先も芸術家として働き詰めていきたいと、願っているのである。
私は昔、病に伏せたこともあり、何にも出来ないつまらなさを人一倍知っている。
それに比べて、今の中身のある芸術家としての生活は、やり甲斐があり、なんと天国のようであろうか。
仕事内容もハードだし、体も頭も疲れるし、自堕落するような自由はたくさん効かないが、職に殉じている最高の贅沢を味わっているのだな、と心の芯から思うのである。
神様、この忙しさを今現在私にお与えくださり、本当に感謝しております。