「EDEN」シリーズ
「悪から離れよう」
私は言葉の暴力が何よりも嫌いです。
はっきり言えば、それは「悪」です。
それは、心に大きなダメージとしていつまでも突き刺さるからです。
時と場合によっては、トラウマのようになることもあります。
だから、言葉の暴力を受けたら、私はその人と疎遠になる癖をつけています。
例えば、実際の人付き合いの中で、自分の容姿の事を、「チビ」とか「デブ」とか「ハゲ」って直接言われたり、ほのめかされたりされたことってありますか?
それを言われて気持ち良い人など、変人を除いて誰1人いないはずです。
誰も教えてくれませんが、人間はある程度大人になったら、それらは言ってはいけない禁句なのです。
それなのに、それを言う人は、その事実にすら気がつかないか気がついても悪い心で、あなたを小馬鹿にして楽しんでいるのです。
はっきり言っておきますが、悪ですよ、それは。
私だってそうです。
私は歳を取り、太ってしまいました。
今は「デブ」だと自認していますが、他人に不躾(ぶしつけ)に「デブ」だと言われたら悲しくてムカッとします。
自分で自分の容姿が人一倍分かっている分、輪をかけて、非常に腹立たしくなります。
そして、大抵私が「そんなこと言うなんて失礼ですね。」と言い返すと、「あなたの健康が心配だから言っている。」と、大義名分を吐かれます。
実際に思ってもいないことを言って、自分だけは悪くないと言うわけです。
こんなにもの「悪」があるでしょうか?
人の気持ちは大抵、言葉や態度に現れます。
今回は、容姿の話を例に出しましたが、それだけではありません。
普段からあなたに対して失礼な言葉を投げかけてくる人間は、大抵、あなたに何かしらの良くない感情を持っている表れなのです。
例えば複数人のグループでいる時に、場を和ませようとして、優しいあなたのコンプレックスを話のネタにする人って結構いるでしょ?
それは、その人が、そこにいるあなたを敬う気持ちがほとんど無いかゼロだから、自然と出てくる言葉や態度なのです。
まあ、はっきり言っておきますが、集団の中でそれをしたらイジメですよね?
その人はあなたを気遣う気持ちがちっともないから、失礼な言葉を普通に発し、大勢のためのネタにするという失礼な態度で示してくるのでしょうね。
だから逆に、そんな「悪い人間の言葉の暴力」で傷ついても、傷つきすぎちゃいけません。
そんなこと、気にしすぎちゃいけません。
だって、それは「悪」そのものですから。
できることと言えば、馬鹿にする人から離れることです。
そういう良くない人間は簡単には治りませんし、ましてや、あなたのためになど決して治ってくれません。
だから、離れましょう。
できることはただ、それだけです。
キリスト教の話になりますが、イエス・キリストも同じ事を言っています。
「悪があれば、悪は治らないので、悪のある人から離れましょう。悪人は、放っておけば時間の経過と共に、神に裁かれる。」
そういう意味合いのことを、福音の中の譬え話で語っておられます。
神であり人間でもある世界の代表が言っているのだから、それは動かし難い「真理」なのです。
「悪」と距離を取るその教えは、約2000年もの間、「聖書」で教えられてきた人間の真実の勉強であり、神様が真理で伝えられていることは、ほぼ真実だと言えるでしょう。
なぜなら、現実生活に適用すると、本当に役に立つ実践的な教えであるからです。
最後に言いたい。
誰かに馬鹿にされたって、めげることありません。
その人は放っておけば必ず今後、神に裁かれますよ。
そして逆にあなたのほうは、とても良い思いをするでしょう。
「悪があれば離れましょう!!!」