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「早くできた作品でも、充分素晴らしい」

YUTAKA絵画作品を並べて比べる

「10分人物デッサン 妻:愛琥」(38×27cm/油性マジック、固形水彩絵具、画用紙)33,000万円
「10分人物デッサン 妻:愛琥」(38×27cm/油性マジック、固形水彩絵具、画用紙)33,000万円

「早くできた作品でも、充分素晴らしい」

 

 

アートとは本来自由そのもので、絵画作品は千差万別である。

また、手法により制作の速さにも、時間を要したりすぐ描けたりと、バラツキがある。

だからと言って、早く出来た作品の内容が薄いわけではない。

むしろ手数が少ない分、あっさりした意味合いの濃い作品には向いている。

「時間をかけた作品が優れていて、早くできた作品が劣っている」という偏見や理屈は、実は絵画作品には通用しないのである。

 

ところで、絵画作品を観たり評価したりする物差しとは、画面の中で構成される「色、形、画面の構築性(色と形の重なり具合・構図・込められた意味など)」の三要素である。

それらの物差しで選り分けるのに、作品制作にかかった時間は、ほぼ関係ない。

簡単に言えば、1時間で出来た作品も、100時間で出来た作品も、そういう物差しで見るのなら違いはない。

1時間で出来た作品でも、充分内容の濃い逸品もあるのである。

制作時間が短いからといって、決して負けない。

但し、常識的な発想から生まれる、筆の画面へのタッチ数の多い時間をかけた絵も、もちろんのこと素晴らしいものだ。

私が言いたいのは、「絵は制作時間いかんではない。」と言うことである。

 

短時間でできた作品に多いのが、色が「原色」である傾向がある。

絵の具のチューブから出した色を「原色」と言うのだが、それをそのまま使う傾向のことだ。

「原色」であるから、「色に、彩度(鮮やかさの度合い)や明度(明るさ)の上でのバリエーションの深さは薄い」かも知れない。

だが、今は市販でありとあらゆる色が手に入るので、そんなことを気にする必要もなくなった。

絵画界では昔からよく、色が「生」(チューブから出した原色のまま)だと言って、深さのない色だと軽んじられる傾向があるのだが、絵は一枚の画面の中の全体的な構成の結果いかんなので、「生」の色を使おうが実際関係ない。

古い絵画界では、今までは「生」の色の作品だと、それだけで蔑視された。

でも、これからはそんな偏見を気にしちゃいけない。

出来上がった作品いかんで絵は判断するもので、使われた色が「生」であろうが関係ない。

実際には「生」の色でできた短時間で仕上げた作品でも、素晴らしい作品はたくさんあるのである。

 

本来、アートは自由なもの。

それを、「こうでなくてはいけない」と狭い括りにして入れてしまうのは、一番いけないことである。

実は、制作時間の大小による偏見や、色に関する常識的な囚われも、鑑賞したり評価したりするには余計なことなのだ。

作る側も観る側も、アートの自由さをぜひ、今一度思い直そうじゃないか?