書家・武井優奈さんと記念撮影
ライブペインティングをデッサンして贈呈
ESSAY
『「絵が自己満足だ」ということについて』
よく絵画とは「自己満足の世界」だと、「否定的に」修飾されます。
「所詮、自己満足の絵ですよ。」と。
また、自分が「画家(絵描き)」である場合に、そういう言い回しで「謙遜して」語られる風潮があります。
はっきりいうと、私はその考え方には一向に賛同できません。
だって、自分さえ満足できない作品なんか、他人様に見せることができますか?
それができる人っていうのは、「画家(絵描き)」や「芸術家」なんかやめた方が良いです。
絵だけに限った事じゃないです。
他の大切な物事に関しても、自分の満足出来ないものを他人様へ与えて満足できますか?
できる人っていうのは、捨てても構わない物を押し売りして喜んでるレベルの人間ですよ!
この世の摂理では、自分が納得できた上で、その次に他者を納得させるじゃないですか?
この世の中にもう出回っていて、普通に生活の中に溶け込んだ商品やサービスは、全てそうやって出来ているのです。
ハッキリ言いますと、自分が納得して、それを人に納得させたものだけしか、私たちの手元にはありません。
これは、絵だって同じです。
まずは、「自分が満足できなきゃいけない」。
これはマストです!!!
だから私は、「自己満足を大いに賛成」しています。
特に、「作者の精神の顕れ(あらわれ)」そのものである絵画作品というものは、まさしくそういう種類の物品な筈です。
絵は、自分の中身そのものであり、自分の分身です。
大体、適当にしか自分で満足できない絵を、「自分の精神性」だと他人様へ主張して見せられますか?
そんなの恥ずかしいでしょ?
そんな不十分な納得しかいかない作品を相手に提示しても、自分の存在を「画家(絵描き)」だとか「芸術家」だとか言って、絵を引き合いに語るには全くもって中途半端です。
要するに、絵画作品は「充分に自己満足できなきゃいけない」のです!!!
つまり、「絵は自己満足だ!」と全てを分かったように言う人は、芸術というものの足元を見て馬鹿にしているのと同じです。
「画家(絵描き)」や「芸術家」という身分は、「自分中心主義で、人様のことなどどうだって良い」という道理では成り立たない職業なのです。
絵画作品とは、それを見せる他人様へいかに納得させるかのために、まずは「自己満足」を満たさなきゃならないのです。
作家でも、他人様に対して自分の絵画作品を「自己満足だ!」と鷹を括っているうちは、誰にも興味を持たれませんし、他人様はその作品など決して買いません。
自分の用意した商品がお客様に買われないようでは、社会人とは言えませんよ。
社会人というのは、お金の受け渡しを通して、精神的にも経済的にも自立している大人を指すのですから。
「画家(絵描き)」や「芸術家」だって立派な社会人ですし、それでは絶対にいけませんね!!!