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「私の信仰物語③」

カトリック瀬田教会

カトリック瀬田教会聖堂
カトリック瀬田教会聖堂
2009年 復活徹夜祭後の洗礼式にて
2009年 復活徹夜祭後の洗礼式にて

ESSAY

「私の信仰物語③」

 

 

カトリック瀬田教会に入信した当初から、私は、1人だけ若く、しかも端正な容姿と顔立ちをしていたので、見た目だけでもだいぶ目立ってしまっていた。

しかも誰よりもオシャレさんだったし、話す内容もまるで人と違って面白かったのも、目立つ原因であった。

さらに歌も上手く、ミサ祭儀中の聖歌の歌唱力でも目立ってしまっていた。

 

当時、私は「教会入門講座」という、信者になりたての人間が有志で受ける講座にも出ていた。

実はそれは、神父に短い期間だけ教育を受けた先輩信者達のグループが、講師を週替わりで担当しており、専門家が講座をしていたわけではない。

そこで、私は陰湿なイジメを講師からいきなり受けたのである。

 

ところで、キリスト教では、ミサ祭儀の終盤で「聖体拝領」という薄いスライスした種無しパンを受けて食べる儀式がある。

このパンのことを「ホスチア」といい、「ご聖体」もしくは「キリストの御身体(おんからだ):コルプスクリスチー」とクリスチャンは呼んでいる。

それについての講座があった日であった。

 

私はなんの内容の講座かも分からず、ミサの後に入門講座を受けに、開催場所である修道院の客間へ行った。

参加者は10名ほどいて、私は一番入信したての1人といった格好であった。

そこで始まって間もなく、「聖体とはなんですか?」といきなり不躾(ぶしつけ)に、講師から私に質問が投げかけられたのである。

一瞬周りも「???」となり、なんで一番教会信者歴の浅い若い私に、その質問が来るのか、みんなも私も分からず空気が硬直したようであった。

そこで私は、自信を持って堂々と言い放ったのだった。

「聖体とは神の実存です。」

そう私が口にした直後、入門講座の空気がまたシーンと固まった。

「・・・あれ?・・なんかマズイことでも言ったのだろうか?」

そう私が思っていた矢先に、ある信者から

「どうしてイエスはヤマトの王でないのでしょうか?ユダヤの王と言われていますが。」と、コメントが飛んできた。

その方は、私の名回答に心底感動してそう言ったようだった。

この出来事に、その時の担当講師が内心カンカンに怒ったようなのである。

どうやら講師は、自分がこれから講義する内容を、何にも知らなそうな私に聞いて、みんなの前で恥をかかせて鼻を明かしてやろうと思ったようだったのだ。

そして、「いかにも私は知っている。」という風に皆に見せたかったようなのだ。

それなのに、自分さえ知らない本当の「神の答え」を言われてしまい、何にも言えなくなってしまったから、怒り心頭の体(てい)であった。

こうして、途中レジュメに沿って色々と話は進んだが、そこから出た結論は浅く、私の答えた「神の実存」以上の答えも導けず、講師が逆に恥をかいた形に、入門講座は終わったのだった。

これが、信者になっていきなり受けた教会内でのイジメであった。

 

この講師が、実は当時の瀬田信徒委員会の委員長だったのだ。

つまりそれは、瀬田教会で一番偉い信者で、一番権力があるということを意味していて、入信直後に彼にイジメられ始めたわけである。

 

私は悲しかった。

なんで私が、先輩たち皆の前で恥をかかされて「晒し者」の刑を受ける対象となったのだろうか、と。

私は入り立てで皆に頼りたかったから入門講座にも出たのに、結局先輩たちの誰1人も頼れず、逆に教会権力者のイジメの対象となった格好であった。

それはやっぱり、自分で言うのも烏滸(おこ)がましいが、外見の端正さでも内面の面白さでも、異質すぎて目立ってしまっていたからだったと思う。

 

まあ、何はともあれ、こうして瀬田教会内での人間関係や信仰についての私の闘いは、幕を開けたのだった。

それが今から14年前。

悲しい苦労のスタートである。