「わからないものを愛する苦しみ」
人は皆、どこへ進むんだかもわからない道を、右往左往と歩いて生きている。
そこから生まれる彷徨える不安の苦しみを、誰も彼もが持っている。
わからないゆえの苦しみ。
それゆえの不安。
その闇の力はとても大きい。
だからこそ、人はわかるものだけを理解するようになっていく。
いつしか年を重ねると、わからないものへの愛など薄れ、わかるから安心できるものばかりに囲まれて生きていくようになってしまう。
実は、それが一番、他者理解を妨げているのである。
一方、この世とは、わからない人への愛と人間理解があってこそ、平和が創られる。
わからないものは、「=(イコール)苦しみ」として個の人間の中で理解されるから、人間はなかなか平和にならないのである。
その苦しみを受け入れることは、言ってみれば己との闘いなのだ。
だから自己研鑽して、他者理解に闘っている者ほど、自分の周りを平和な世界に作り上げられるのだ。
苦しみを受け入れて、苦しみと共に進む。
その行程を自分に科している者だけ、その人間の真の平和を実際的に作り出しているのである。
よく、己の苦しみと闘った者だけが悟りが開かれるイメージが、一般的にあると思う。
それはなぜなのかといえば、わからないものを受容する努力が、その人間の平和を導くからである。
己の中には様々な苦しみがあるとは思うが、実は、人が一番苦しいのは「苦しい人間関係」なのである。
「わからないものを愛する」苦しみを受け容れる人には、救いの門が必ず開かれるのである。