F200『聖母の夜明け』
ESSAY
「日本の四季の乱れについて憂う」
11月中旬になって、やっと暑さが去って肌寒い陽気に変わった。
紅葉もそんなに進んでいなく、急に風だけ冷たく吹き荒んでいる。
また、空気の乾燥を指先のひび割れでリアルに感じる。
ああ、これで秋なのかな。。。
そんな感じに昔の日本と自然の様子が違うので、季節の移ろいに戸惑っている。
それにしても今年は一年を通して、暑いままの年だったなあ。
まるで、赤道近くの国の気候と、気候の様子が変わらないじゃないか。
また、今の私は太っているので、今年は沢山汗をかいた。
少し動いただけで頭からじっとりと汗が吹き出し、1日で何枚タオルを濡れ雑巾に変えたか分からない。
そんな風体なので、2、3日前からジャケットのいる寒さに急に変わったのが、むしろ私にとって天然のクーラにいるようで気持ち良いのだ。
寒さを肌身で分かるようになると、急に11月だと思う。
そして、現在2023年11月かと思うと、急に思う。
今年で44歳で妻帯者になったわけだが、2022年の去年の今頃はまだ43歳で未婚だったか。
1年が経つのは本当に早いなあ。
四十を超えたあたりから急スピードに時の流れを感じる。
去年の今頃は、妻と一緒に、教会の夜の結婚講座に足繁く通っていたなあ。
懐かしい限りである。
今年は暑さが長引き、時の流れは自分の内で早く刻まれた。
やっと流れ吹く風の冷たさに「秋」を感じて、はっと一年を振り返れた。
そういう意味じゃあ、昔ながらの日本の自然の方が、きちんと変わりゆく四季の中で、こういう豊かな気づきが多かったように思う。
それに比べて、今年はずーっと暑いままで、気づきがちっとも訪れなかったな。
それは感動が薄い証拠でもあり、表現者として、ちょいとやばいなあとも思っている。
「四季の狂い」は、人間の知覚へも、そうやって影響を及ぼすものだな、と私は強く憂いている。
私は俳句もしているので、四季の異変も心配事の一つだ。
その時感じる感覚が、俳句の季語と合わなくなってしまうからである。
「光陰矢の如し」や「時は金なり」と諺で言うが、時の大切さを自然があんまり教えてくれなくなったな、と今肌身で感じて憂いている。
私は正直、その気候変動による自然の性質変化を、本当に悲しく思うのです。
【俳句】
・残暑抜け 冷たき風や 気付き知る
・四季みだれ 難航路往く 俳句人
・吹き荒れる 冬風に踏む はしご酒
・焼き肉を 卒す次の手 やきとりや
・やきとりを ほぐして囲う きずな酒