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「港の作家小品展が終わって」

重慶飯店新館で生徒達と会食

生徒さんたちと会食 横浜中華街:重慶飯店新館にて
生徒さんたちと会食 横浜中華街:重慶飯店新館にて

マリンスタジアムのハンバーガー屋前


ESSAY

「港の作家小品展が終わって」

 

 

今日は妻と一緒に、地元の朝の教会ミサに与った後その足で、神奈川県民ホールへと向かった。

港の作家小品展最終日で、午後当番であったためだ。

当番の時間までには少し早く横浜エリアに着いてしまい、時間を少し喫茶店で遣り過ごした。

その後県民ホールに着くも、時間はまだ12時。

我々亀ヶ谷夫妻は午後2時から当番だ。

なので、午前中の当番の方々に挨拶してからまた時間を潰さねばならず、県民ホール6階のレストラン「英壱番館」へ向かった。

そこからの横浜港海景を楽しみながらランチし、定刻の2時まで寛いだ。

 

会場に戻り当番が始まるや、一気にせわしない時間が流れ始めた。

今日は午後4時から搬出なので、直接搬出の会員で4時までの時間は賑わった。

もちろんお客様もその中には半分くらいいらして、みな面白そうに展覧会を観覧されていた。

それにしても会場内は、多くの人の体温で蒸し暑い熱気に包まれていた。

私は暑くて汗が止まらないので、途中何回か抜けて2階に行き入り口外の秋気に当たり、生徒さんや知り合いなどにスマホで業務連絡をしていた。

まあ、そんなふうに時間を費やして、やっと4時になる。

 

みな丸く集まり、締めの挨拶を会長がして、展覧会委員長が注意事項を皆に伝えて、いざ片付けがスタート。

会員のみなが協力的に方付け作業に勤しんでくれて、1時間ほどで、あっという間に終わってしまった。

2名ほど搬出を忘れて来なかった人もいたが連絡が付き、18時までに取りに来ることになって、無事終了。

会長と事務局長を残し、亀ヶ谷夫妻は会場を出た。

 

その後ローソンに行き、ゆうパックで遠方の新会員2名に作品返送を受け付けてもらった。

そして無事帰途へと着いたのである。

だが。。。

そこで終わらなかった。

私の持病である左脇腹痛がジリジリと痛み出したのである。

実は私は疲労すると、前世イエス・キリストの頃に処刑されて貫かれた槍の跡が、今生まれ変わっても痛み出すのである。

あまりの痛さに帰れなくなり、ホテル宿泊をまた検討した。

だが、妻が首を縦に振らない。

仕方ないので痛いまま脂汗をかいて、東京までの1時間半の距離を、強烈な痛みを我慢しながら帰った。

途中、意識が怪しくなりそうな危ない状態で電車に揺られていたが、地元駅に着いた後の夜道では「主の祈り」を唱えてロザリオをぶら下げながら邪気払いをして、なんとか家に着いたのだった。

 

こうして、やっと「私の中の港の作家小品展」も無事終了したのであった。

 

【俳句】

・冬の夜 槍の古傷 喚きだし

・北風と 競いしハマの 太陽や

・冬硝子 映る港や トンビ舞う

・ステーキに サラダで流す 冬ビール

・イギリスの 名残り冬めく 港町