革細工作品
『革十字』
『十字宝箱』(制作中)
ESSAY
「デブだと言われ傷ついて」
太っていることの最大のデメリットは、「話の種」に容易にされることです。
誰かと久しぶりに会った時などは、特別話すこともないのであれば、すぐ私の体型の話になります。
昨日も4ヶ月ぶりに制作に訪れた革細工教室でも、そんな具合でした。
革細工の師匠からは私の太っていることについて、毎回何かと言われるのですが、また言われました。
「ウォーキングはまだしているのか?」
「少しは痩せたのか?」
「奥さんは、私が太っている事に関して痩せろと言っているのか?」
「息が苦しそうに見えるね。」
「太っていると心臓に負担が来て、心臓の病気になって突然死してしまうよ。」
など、言われたくもないお節介なことばかりを、また言われました。
では、「先生みたいに、痩せてれば健康なんですか?」
そう言ってやりたいところを、喧嘩しても仕方ないので、昨日もグッと堪えました。
私はクリスチャンなので、仕返しをしない教育をされています。
だから、私は攻撃されても、忍耐で防ぐばかりとなってしまうのです。
キリスト者は、右の頬を叩かれたら、左の頬まで差し出すのですよ。
私の健康が心配だから言っていると師匠は言っておりますが、私はそのようには捉えられず、他の生徒も聞いている場で行われる「イジメ」だと感じています。
健康を心配するという大義名分があれば、何を言っても良いというわけにはいかないのではないでしょうか?
ところで、なぜ「デブ」だけがそうやって言われるのでしょうか?
「ハゲや、チビや、ガリガリ」が言われないのに、「デブ」だけそう言われる風潮に日本はなっていませんか?
不公平ですが、それが社会の現実なので仕方ありませんね。
体型での差別はそもそもが偏見なので、今更体の特徴に対する差別について社会に公平さを問うたって、仕方ないですもの。
医学的には、太っている人は交感神経よりも副交換神経が優位で、ピリピリせずにおっとりしていると言われています。
だから、普段優しい人が多いのかもしれません。
それゆえに、デブは皆言い返さないので、「デブと言っても怒られない。」という市民権を得たのかもしれませんね。
例えば、お相撲さんたちは優しい方が多いです。
日本社会では、ハゲにハゲと言ったり、チビにチビと言ったら、ものすこい反撃が来そうですよね?
女性に「ガリガリ」だと言ったら、一生恨まれるかもしれません。
なぜデブにはデブと言って良い世の中になったのですかね。
残念で仕方ありません。
はあ。。。それにしてもデブはやだなあ。
最大のデメリットは、話の種にされることだと冒頭で言いましたが、そんなこと無しに生活が送れれば、もっと集中したい価値あることに専念できるのに。
昨日も革細工を制作するために師匠の工房に行ったのに、5時間も制作した末に区切りの良いところまで終わりませんでした。
それはデブをネタにされて、心が傷つきながら制作をしたために、集中力がイマイチであったからです。
本当は、デブという単語は、もともと痩せていてイケメンだった私にとっては、禁句です。
言われるたびに、自分の体型の真実を認識せねばならず、心が深く傷つきます。
私は、今必死にダイエットをしているのに、痩せない。
そういう現実に、ネガティブな言葉で簡単に傷ついてしまうのです。
また、それがストレスになって食べてしまう。
だから私は、非常に痩せにくいのです。
だから、素直な願望を言いますと、デブをいち早く辞めたいです。
デブじゃなくなれば言われないですもん。
過去にタバコも酒も、強烈な意志で辞めました。
そう考えるのは嫌ですが、「肥満」という病気の一つとして、これを滅ぼすより他ありませんね。
きっと私にはできると信じて、今のダイエットをこれからも継続します。
ああ、ダイエットは修行だなあ。。。
でも、実は修行は大好きです。
さあ、かかってこいや!!!数々の困難よ!!!
【俳句】
・デブ言われ 傷つき食べし 夜半の冬
・冬の影 大きなからだ 地に伸びる
・夕闇に 木槌響けし 革工房
・王者とは 小さきを知り 影冴ゆる
・毒麦や 永遠の火に 焚べられて
・永遠の 命与る 麦初穂・王者とは 小さき