キリスト者になって・・・
ESSAY
「私の信仰物語⑤」
キリスト教に入信し、カトリック瀬田教会に所属して来年3月の復活祭で15年にもなる。
多くの人間達に虐められたところからスタートした我が教会人生を、我ながら晴々しく思う。
お世話になっている先輩信者さんからは「良く辞めなかった!」と賞賛していただいている。
私はなにしろ負けず嫌いだし、忍耐力は虐められながら培ってきたつもりだ。
15年経過して、自分の心は「最強のメンタル」だと自負している。
私には恩人が2人いる。
キリスト教信仰の起点となったのは恩人の1人の「Aさん」と言う医師(白血病治療の権威)との交流であり、彼はロシア正教のクリスチャンであった。
彼と偶然知り合いとなり「亀ちゃんはマリア様が好きだからカトリックが良いよ。きっと合うと思う。」その一言が私を動かした。
その後、実際に教会を訪れたところ丁度居合わせた神父が、「若林智樹」神父様であった。
彼が2人目の恩人である。
当時から私はファッションでは目立っていて、何とも言えぬ「はちゃめちゃな格好」をしていた。
15年前だと私は渋谷・原宿では一部の人間の間では有名な、よく見るファッションリーダー(街を歩く格好を牽引する者)であった。
その日は、蛍光イエローとピンクの混ざった原宿風のジャージの上着に、緑のジャージのズボン、そしてディオールのデカいサングラス(これは今でもしていてSNSのアイコンにも使用している:実はこのサングラスは「浜崎あゆみ」の使用品で、20年ほど前にオークションで手に入れた逸品なのだ!)といった近寄りがたいヤンキーな兄ちゃんな格好であった。
15年前だってそんな格好で地元の街を歩く者は、私くらいしかいない。
それを見ただけで堅い聖職者であれば門前払いというところであろうが、何と若林神父様は受け容れてくれたのである。
神父様はその日、修道院のお掃除の仕事の日で、突然訪れた私を見て「善し!」としてくれたのだ。
「毎週日曜日、ミサに参加した後、1時間レクチャーします。それを1年間続けてください。」
そのお言葉の通りに、私は真面目に頑張ったのである。
変な格好しているのに、人一倍真面目であった。
1年間の間に、神父様は私の格好とは相反する、勉強する姿勢の真面目さで内面を見抜いてくれたのだと思う。
1年間の勉強の後、晴れて、2009年復活徹夜祭に洗礼を受け、キリスト教入信を果たした。
時は、東日本大震災、福島津波原発事故の直後1ヶ月後であった。
震災直後なため、聖職者と代父、代母、関係者以外、聖堂には誰もいないとても「貧しい(寂しく、華やかさと相反する)」洗礼式であった。
その貧しさと言ったら、まるで、馬小屋で生まれたイエスを彷彿とさせる雰囲気であった。
1年間勉強を頑張った成果に、神様が授けてくれた入信の時がこれなのか・・・
私は世界最大の重い十字架を背負ったな、と感覚的に判った。
それから私の「戦いの信仰生活」は幕を開けたのだった。
【俳句】
・恩人は 何してたもう 冬の暮
・高潮の 災の果て往く 基督へ
・まずしきや 少なき人の 復活祭
・聖夜の舎 イエス命を 叫ばれし
・馬の餌 入れる揺かご マリアの子