「2023年年末」
ついに年末となりました。
今年も残すところあと2日です。
今年も、山梨県の日本芸術村運営を始め、普段の作家活動(制作・宣伝・販売・展示)とEDEN絵画教室講師と、アート業務に奔走した佳き一年でした。
今年からは、桜新町の桜神宮での楽市楽座にも、月一回参加して日本芸術村出張店を出す活動も始めましたしね。
一年を通して目まぐるしい忙しさの中、ハリのある充実した時間をたくさん過ごすことができました。
今もそうですが、私は毎日が闘いの日々です。
芸術上の闘いを挙げていけばたくさんあります。
作品の中身を深めていく純粋な芸術家としての闘い、作家として社会的ポジションを高める闘い、世間様からの偏見との闘い、経済的に日常の暮らしを維持する闘い、などなど闘いの数々を挙げればきりがありません。。。
その他、キリスト教に関しても、教会内部での闘い、教会外部のシャバ世界での立ち位置を巡る闘い、やはりこちらもキリスト教だからといった社会的偏見との闘い、そういった闘いにまみれております。
人間にとって生きることの全ては、もともと闘いです。
私はそれを、リアルに、ビンビンに感じて生きている感じですね。
有名ドキュメンタリー映画監督:原一男に私の映画が作らせたのなら、「全身芸術家」といった感じだと思います。
たまに似たもの同士の友人と酒を囲んで話し合うと感じますね。
「ああ、私は生きている。日々の活動に勤しめるそのことだけが尊いのだな。」
そう、酒が進むとしっくりと思います。
2023年は、大病コロナも国指定では強さの薄い第5類扱いとなって5年を超える社会的騒動は終息し、マスクが日本人の顔からほっとんどひっぺがされた嬉しい年でもありました。
一時はもうこの先永遠にマスクの顔しかみられない社会に突入したのかと、私は漫画家:手塚治虫のようにSF的に思ってもいましたが、皆の顔が見られるようになって胸を撫で下ろせました。
ああ、マスクを取るといろんな顔をしてるんだな・・・
オカメがいたり、げっそりがいたり、ヒゲヅラがいたり、不細工顔がいたり、とその一般人の顔の普通さに逆に安心できました。
まあ、私はいつ死んでも良い覚悟はできているので、顔の見えないコロナ真っ最中でも個展をバリバリに行い、多くの様々なお客様にも訪問してもらい、売り上げもそれなりに上げてきました。
コロナだろうがインフルエンザだろうが、社会的猛威でも私の道は妨げられないのです。
来年は辰年で、仏教の世界では辰(龍)は戦争に加担してその猛威を振るうとされています。
一方、14世紀の龍で、牙もツノも爪も無い無危害の子供の龍を「蛟(みずち)」と言うそうです。
蛟は龍でも、平和を届ける存在なのだそうです。
これは作家仲間の神形作家:田村晴海さんに教えて頂きました。
また話はキリスト教へと変わりますが、私はクリスチャンとして霊名を「ミカエル・マリア」と言います。
実は、大天使ミカエルと聖母マリアをくっつけた霊名を私は授かったのです。
大天使ミカエルは、悪党をやっつける天使のリーダーで、そのイコン画は悪魔を左足で踏み潰して右手で剣を天に掲げています。
一方聖母マリアは、あらゆる平和と愛の象徴で、幼子のキリストを抱っこする存在です。
現在、シリアやロシア・ウクライナなど戦争が活発に行われいますが、この世に戦争のない世界は紀元前からありません。
ただ紀元前からを歴史的に見ると、これでも今が一番世界が平和なのだそうです。
それに加えて私は、この蛟と大天使ミカエルと聖母マリアが一体となって、仏教とキリスト教が一致して、今行われている戦争の猛威を本格的に収めることを祈っております。
2024年が平和な世界に近づくよう、愛の祈りを捧げたいと思います。
【俳句】
・行く年や さすらい坊の 都市遍路
・初鳩や 古巣旅立つ 天に地に
・諍いを 愛の嵐へ 祈る花
・病めれども 口隠さじや 世の病
・啜るそば 頬張る口の 海老の天