私の笑顔
私のアート作品
ESSAY
『「悲しみの行く末」と身近な処方箋』
今日は、「人間の悲しみの行く末」について述べようかと思います。
私は芸術家ですし、人一倍、悲しみを感じるセンサーが敏感です。
端的に言うと、非常に何でも悲しみやすいです。
でも、悲しみに支配されないよう精神衛生をいつも光らせて、明るく生きるように努めています。
そこで私は、あなたが大人ならきっぱり言いたいです。
悲しい気持ちがあってもその時ばかりと忘れましょう!!!
ずっといつまでも悲しんでちゃ、ダメです。
何ででしょうか?
そりゃ、たまに思い出して悲しむ位にしなきゃ、「あなたの生きてる時間がずっと悲しみ」だからですよ!!!
悲しい時に、生活水準や仕事の生産性は上がりません。
もっと言えば、人は本当に悲しいと、悲しみに浸り込んで「働きません」。
そのまま「うつ病」などになる人も多いと思います。
うつ病になったら今度は「働けません」。
でも悲しいなら、悲しみに浸りたい時を設けて、とことん浸れば良いです。
でもそれは、期間限定です。
若い頃に経済的に支えてくれる親がいる場合は良いですが、大人になったら「永遠の悲しみ」はきっぱりやめましょう。
悲しみに支配されているだけの働かない「おじさん」や「おばさん」は、正直みっともないと思います。
何にせよ我々は大人であれば、一人一人が生きなきゃならない。
「生き続けるのは、この世に生を受けた最低限の勤め」です。
生きる勤めから外れたい人だって、ほとんどの人はお腹が空いたら食べたいでしょ?
それには、生きなきゃ務まりません。
生きるにはゼニが要ります。
悲しいからって何にもしないんじゃ、ゼニが稼げず、生きていけないですよ。
そういう人の為の生活保護のような福祉制度もありますが、それであなたの一生の方向性が決まって良いのでしょうか?
もし、あなたが自分で描いた夢を叶えたいなら、福祉は頼らない方が賢明です。
あなたはしたい仕事も法律的にできず、例えば福祉作業所のようなところで「一日懸命に働いて500円の稼ぎ」で、満足できますか?
できないでしょ?
でも、それが実情ですよ。
500円じゃ今どき、牛丼並を一杯だけ食べるのが関の山です。
はっきり言います。
「悲しみに浸り続けた怠惰な生活の先にあるのは、国の福祉を受けるだけの生活」です。
悲しみ続けると、本来の哀しみを乗り越えて、今度は死にたくなります。
ならば死んでしまえば楽かと言えば、正直言えば死んだ先は楽かもしれません。
私のような宗教者に言わせれば、自死を選べば地獄で魂が滅ぼされますが、一般人なら死んだ後は楽になるかもしれませんね。
でも死ぬまでが大変ですよ。
絶望という最大の苦しみを、この世界で味わわなくてはいけない。
人間は「死んでしまいたい。」という絶望を抱えた生活が、一番苦しいです。
それはいつしか本来の悲しみも超えてしまいます。
だから、悲しみ続けちゃいけません!!!
さて、ここまで「悲しみの行く末」を、現実的に力説してきました。
私の言いたいことは、茶番に聞こえやすいですが、直球勝負です。
「何はともあれ、明るく生きましょう。」ということです。
・・・・・・・・
悲しい人には明るく生きるのは難しいかもしれませんね。。。
何せそういう時は「受け身の生活」ですから。
では、どうすればいいのか。。。
はっきり言います。
「悲しみはどんな薬でも治りません」。
それには、「自分から自分を明るくするように、努力して頑張るしかありません」!!!
例えばそのための近道は色々あるとは思いますが、そういう人こそ「アート」をお勧めします。
下手でも良いんです。
表現することが、悲しみを治します。
是非、自分の悲しみをキャンバスにぶつけて絵を描いたり、何かオブジェなど作ってみましょう。
それだけで今度は逆に楽しくなり、いつの間にやら悲しみは消え失せることでしょう。
また、「笑い」も近道かもしれません。
努めて、嘘でも笑うように心がけましょう。
例えばニコニコは、本当の笑いではなく、作り笑いでも良いんです。
ニコニコしてると、気持ちが明るくなってきて、本当に悲しみが治ります。
人間は感情の生き物ですが、多くの場合、行動に釣られて感情が決まるものです。
だから行動自体をニコニコ笑うことで、感情を明るくするのですよ!!!
例えそれが嘘でも!!!
それを続けていれば本当に楽しくなって、いつしか自然と笑えているでしょう。
その時は、もう悲しみのお世話にはなりません。
皆様も「アート」に「笑い」、お試しあれ。
【俳句】
・寒鴉 悲しみ超えて 阿呆泣く
・笑う春 全て治すよ 世の病い
・寒空へ 燻る気持ち 筆託し
・春の風邪 極む絶望 世の情け
・春かぜに 思いの丈を 散りばめて