「ガダラの豚」
YUTAKA
ESSAY
「表現者の苦悩」
私は物事を表現する芸術家という仕事をしていて、日々エッセイに想いの丈も綴っています。
そして元来がナイーブな性格なので、心が悲しく傷ついた時にはそれも書きたくなるのです。
良いことばかりではありません。
今までのエッセイにもそういうことはあったでしょう。
私は誠実に生きているので、人一倍傷つきます。
それは恩を仇で返すような人に、本当に仇を返される場合です。
良いと思って無償で助けてあげたのに、それがきっかけで酷い目に遭わされる場合、心底悲しくなります。
例えば無償どころか、私が金銭や労働力を払って有償の助けをしてきたのに、酷い仕打ちをされる場合もあるのです。
最近またそういう事象に遭遇し、私はそれが原因で心が締め付けられて気に病んでいます。
私はその悲しい事柄を思い返すと、悲しすぎて居ても立っても居られません。
今は、妻が支えてくれているので、なんとかなっています。
私は感受性が強くて、気に止む程度が元来重いのかも知れませんが、正直に自分の傷付いた内容をある時、具体的にエッセイに綴りました。
まあ、表現者ですから、想いを綴るのも仕事のうちです。
すると、私は相手方に不当な悪者扱いをされて、本当に酷い仕打ちを受けそうになりました。
私も馬鹿ではないので、前向きな態度で善処しましたので、危うい場面は乗り越えました。
でも、そんなことが起きてしまっては、その方との関係はきっと修復不可能でしょう。
多分お互いの憤りは取れないままで、私の悲しさも取れないままですね。
非常に残念なことで、心から悔やまれます。
まあ、現実には、そういう理不尽なことは、この娑婆世界では多々あります。
一般人の方は、恩を仇で返すことですが、普通は信じられないでしょう。
でも誠実に生きていると、そういう目を背けたくなる現実が本当にあるのですよ。
最近起こったその事象だけでなく、私の歴史は信じた人からの裏切りの歴史でもありました。
辛くて寝込んだことも沢山ありました。
今だって仕事以外は、心痛で寝込んでいるようなものです。
そういう好意を無に帰す人は、本当に救い難いと思います。
私は表現を仕事にしている以上、誠実に生きていても対人関係のトラブルはこれからもあるとは思いますが、自分はいつでも柔和に努め、関係者にも神様に対してもへりくだる者でありたいと願っております。
それでも、問題が起きたのなら、それは私のこの世の試練なのでしょう。
【俳句】
・無き事を 有りしと謳う 春の馬鹿
・桜散り この世の試練 身に受けて
・自分だけ 正義と思う 春の馬鹿
・傷ついた 翼を広げ 春泳ぐ
・神様の 計らいだけが 助く春