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「44歳、YUTAKAの歴史と今」

夫婦朝散歩・・桜咲く砧公園

桜と戯れるYUTAKA
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妻:愛琥、桜の前でジャンプ
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ESSAY

「44歳、YUTAKAの歴史と今」

 

 

ここ20年間の私の歴史は可能性の開拓だった。

本来なら自分にできないことばかりを、「やればできる」と言い聞かせて自分に課してきた。

悪い言い方だと、だいぶ無理をしてきたのである。

でもそのおかげで自分の可能性は、信じられないほどに大いに広がったのである。

24年前の二十歳だった青年時代に比べれば、なんでもかんでも知っているし出来るようになった。

 

振り返れば、私は、本当は33才で一度死んだようなものだったのである。

実は、今生きていることは奇跡なのである。

実を言うと、私には、命も奪われ、その生きた証拠も消されて、社会的に抹殺されそうになった事件があった。

もうその頃は、自分には何にもないばかりか、命を粗末にするマイナスの事柄しかなかった。

その破壊された人生を、今の今まで、ほぼ自力で良い人生に回復させたのである。

 

それはどのように成し遂げたかと言えば、「信じて行動した」のである。

自分には「何事もできる」と信じ、「神様からいただいた命を最大に活用しないことには死ねない」と、信じたのである。

そして、成功の仕方なんか分からなかったので、ひたすらに、がむしゃらに行動した。

その結果が幸福な現在となって、今幸せに生きているのである。

幸福と言ったって、もちろん今でも苦しいこともあれば悲しいこともある。

でも、全てがマイナスであった33歳に比べれば、天国にいるようなものだ。

 

そう、私はキリスト教的に言えば、この世に生きながらにして天の国に入れた、と思っている。

全てが神様に保証されたこの世の天国で、たとえ苦しくても悲しくても、生きている限り自信を持って生きられるようになったんだと。

そこに、魂のレベルが到達したと思う。

 

我が人生は闘いの歴史だった。

これからも、さまざまな事象とも、自分自身とも闘い続けるんだろう。

でも、何も怖くないし、全力で生きた結果、明日死んでも構わない。

信じて行動した結果、報酬が何かしらの形で返ってくると良いが、実を言うと無報酬でも私は構わないと思っている。

私には「信じて行動する」術(すべ)が、もう備わっていて、その術が何の財産にも変えられない宝であると信じているからである。

 

 

【俳句】

・一度死に また生き直す 春の夜半

・今世の 楽園生きる 花の道

・一度絶え 二度の人生 生きる春

・天の国 信じて動け 春に入る

・春に舞い 信じて動く パラダイス