ESSAY
「久しぶりに本を読み、本について想いを馳せる」
ここ最近、ビジネスや芸術に多忙にしていて、まともに本など読んだ試しがありませんでした。
私は自分が文化人としてそれが恥ずかしく、できればその生活態度を隠していたかったです。
でも今、公に曝け出して、逆にスッキリ致しました。
私は、自分の思想体系や原体験ばかりを文章でアウトプットするばかりで、様々な高貴な知恵や知識をはっきり言って、インプットして仕入れてなかったのです。
以前は読書を習慣化して、トイレにも本をたくさん置いて読み漁り、読書中毒のようにあらゆる文章を四六時中読んで仕入れていましたが、最近はその習慣がなくなってしまっていました。
でも、その読書習慣の復活も、なんとはないです。
先ほど、何気なくトイレの中の本置き場から本を取り出して「心穏やかに」という選書を便器に座ってふらっと読んだら、またスイッチが入ってしまったのです。
「ああ、人の書いた文章は面白い!!!」
と思ったと同時に、
「読まなきゃ分からねえな!!!」
と、新鮮な空気を再び吸い取った気分になりました。
ああ、これだ、これだ。
文化だ。
読書は文化だ。
そうそう私は、芸術家だし、文化人でしたね。
それなのに、本を読むことを忘れてしまっていました。
これではイケナイ!!
SNSやホームページばかりのインプットで、最近は何もかも終わってしまっていました。
深いようでいて、実体の浅い情報ばかりを相手にして、辟易していた状態でした。
それが、何気ないトイレ読書で、本当に深い知識の泉がまた戻ってきた!!!
読書熱にまた火がついた!!!
ああこの嬉しいワクワクする感覚。
知識の森を歩いてみたい。
やはり、深い知識と知恵、それらの奥にある精神性は、本を読まなきゃ判りません。
そういう意味じゃあ、トイレに本を置いていたので、また読書習慣のきっかけが発生して本当に嬉しいです。
読書と言ったって、書斎にすし詰めになって篭りっきりで本を読むわけでなく、トイレで用を足すついでに、さらっと何かを読んでみる気軽さが良いのです。
それにしても、トイレから始まるとは。。。
トイレさまさまですね。。。
大富豪の多いユダヤ人の方々は、住むところを追われた時に、金塊と一緒に何を最後に持っていくか知っていますか?
それは、本なのだそうです。
彼らの莫大な財産を作り出す大元の知識と知恵は、全て、本からなのですよ。
彼らにとって書物は、金の延べ棒と同じくらに大切なものなのです。
それなら我々日本人にとっても、同じことが言えます。
本屋や図書館を見てみてください。
本の数や豊富さを考えても、これだけすごい国はあまりないでしょう。
そうです。
日本は知識の宝庫なんですよ。
日本には今でもたくさんの書籍が出ていて、本で何かを伝えたいたくさん作家や芸術家、また学者や研究者などがわんさかいます。
そして日本では、昔から何かを書いて伝えたい人が山のようにいて、歴史を辿れば2000年の間にたくさんの書物が執筆されてきました。
今一度、この日本の大切な「本文化」を思い直してみたいところですね。
ユダヤ人の例から見ると、要するに本の知識と知恵は「=お金やその他の財産」とも言えます。
現代日本人の老若男女が、皆、口を揃えて「金がない」と言っているのは、本をじっくり読まなくなって、金や財産の作り方がわからなくなったせいなのかも知れませんね。
ああ、それにしても良かったな。
本がまた自分の中で戻ってきた!!!
本があるのに読まない習慣(=「積ん読」とも言います)を抜け出しました!!!
私は過去に大枚をはたいてルイヴィトンのバッグを買い、今愛用していますが、何気無い1000円の本を読むことの方が興奮しています。
それくらいに、私はワクワク感を取り戻して、今嬉しいのです。
【俳句】
・本なきは 青春なきと 夏思う
・読書して 心潤す 初夏のカフェ
・先人の 知恵思いしや 夏読書
・読書とは 心の旅や 夏休み
・本開けて 心を開けて 夏遊ぶ