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「野望について」

砧公園 夫婦朝散歩 2024.5/24

夫婦記念写真
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ESSAY

「野望について」

 

 

人として生まれたからには、夢や希望が生まれるでしょう。

こういう世界だったら良いな、という憧れは誰でも持ちます。

なぜなら、夢や希望を叶えた先に「幸せ」が存在するように人間は思っているからです。

それだから、不満足な現状を打破しようと、自分や世の中を努力して変えたり、新しいものを作り出したり、古いものを作り替えたりすることを我々人間はします。

言い方は違いますが、夢や希望を叶えることを「野望」とも言いますね。

 

さて、野望を持つことは、人として健全なことです。

野望という言葉は、自分の勢力を広げる事に関連していて、ビジネスや政治的な世界で良く使われますよね。

テレビゲームにも、戦国時代を背景にした天下統一を目指す「信長の野望」というソフトがあるくらいです。

「少年よ、大志を抱け!」とは有名な言葉ですが、これは米国人クラーク博士が、札幌農学校の教頭を辞して日本を去るにあたって、教え子たちに贈った言葉です。

Boys, be ambitious like this old man. (この老人 (私) のように、きみたち (若い人) も野心的であれ)

「若者は大きな志を持って世に出よ」という意味に、日本では訳されていますが、be ambitious=野心的であれ=野望を持て、と彼は言っているのです。

 

野望なんて言うと、大逸れた事を成し遂げる風に聞こえはしますが、野望を持つから人が人らしいんですね。

人は元来、他人に迷惑をかけるように粗野にできています。

それだから、人は幸せな世界を追求していけるのですから。

 

ただ野望といっても、人の幸せを願う以上、「信長の野望」のように人殺しを伴う野望はいけません。

例えば、世界征服です。

世界を統一した先の自分の王国が幸せに違いない、と思うから、数々の歴史上の政治家たちは世界統一の野望を抱き、戦争を繰り返してきました。

未来の人々が幸せな生活を送るために、戦争をして、たくさんの今生きる人々の命を闇に葬ったのです。

幸せのために、人を殺してしまう。

こう言う野望は方向性を誤った野望で、歴史犯罪とも言われていますよね。

 

本来の意味での「野望」は、各人の幸福追求のために行われる行為で、何にも悪い事じゃありません。

それがあるから、人間らしくて、人間味があって、人間という存在が面白いのです。

我々も、薄っぺらな世界を蹴っ飛ばして、野望くらい持って色濃く生きようじゃありませんか!

私は、そういう意気込みの熱意溢れる人間の方が好きですね。

 

 

【俳句】

・人の世は 儚き夢の 熱砂線

・人の世は 暑し野望の 交差点

・世は愉し 夢と希望の 時鳥(ホトトギス)

・破蓮(やれはす)や 世界征服 悪堕ちる

・夏弾け 大志を抱け 少女たち