YUTAKAの小さなアトリエ
ESSAY
「人生の勝者は愛だけではない」
「自分の中の正直な声を聞け。
お前はこの世界で何をしたいのか?と。
崇高な目的もあるだろう。
たくさんの欲望もあるだろう。
それがたとえ世間の基準で間違っていたとしても、世の物差しで不徳なことであったとしても、自分にとって素晴らしく良いことであれば、自分の真実として確かに信じてみよう。
そして行動あるのみだ。」
別に愛のためでなくても、単純にしたいことだってあるでしょう。
そういうことも含めて、してしまえばどうですか?
だって人間だもの。
目的が崇高な人でも、それが普通なんです。
不完全なのが当たり前だし、やりたきゃやれば良い。
私がクリスチャンだから言いますが、あなたは神様に作られた、アダムのような不完全な被造物の1つに過ぎません。
もしその結果に罪があるかもしれないのなら、「人間世界」から心を回して「神様の存在」に向き合い、自分をさらけ出せば良いだけです。
そして罪だと思うものに非があれば、神様に許しを乞い願い、神様に依って自分をさらに良くして戴くだけです。
それをキリスト教では回心と言います。
世の中を見て、「勝者」といわれる人々を、目を背けずに見てください。
勝者のみんなが、愛に生きて美しいわけではありません。
人間的に美しくない人だって、中には見えますでしょう?
結局、そういう頑なな信念と情動で常識をひっくり返した者たちだけが、この世界で「命の質を高めて」勝っているではないですか!?
その事実を見過ごしてはなりません。
私は結局は全て「愛が勝つ」と思っていますが、この世の実際の勝者達は「命の質を最大限に高めた者」達のことです。
やりたいことなど、思い残すことなく、死ぬ前に全部やってしまいましょう。
あなたの体の人生は、もう一度きりしかないのですから。
あなたは、実は、生きているだけで死に向かっています。
だったら死ぬ前に、バカの1つと思われても、やってみせましょうよ!
愛に生きて通すことは、もちろん人生の勝者です。
でもそれと同時に、本能に従いやりたいことをしっかりやった者も、結局この世に与えられた人生の勝者なのだ!と、私はこの頃、肌身で感じています。
【俳句】
・好きをした 者の勝ちだと 思う夏
・愛に生き 欲も叶うや 夏の空
・好きに生き やること叶え 花は咲く
・夏の夕 白き眼の 世間沸く
・人の花 咲くはこの世の 勝者なり