ツイヒジ カズマサ
2021年『Prism Ⅴ 展』 アートポイントギャラリーにてご一緒しました
大切なひとときでした(この展示の後、彼は天に召されました)
YUTAKA 展示作品
ESSAY
「自意識を研ぎすまそう」
今日はすっかり一日中大雨が降り注ぎ、梅雨への本格的な大突入の日となりました。
また季節が一つ進み、世の中が移ろいましたね。
こういう梅雨を、まるで詩を読むように、肌身で感じて感動したいと思いませんか?
ただ「蒸すし、大雨が降ってて嫌だなあ。。。」だけでなくてね。
それには、自分を意識せねば始まりません。
遠く異国の地では長き戦(いくさ)も終わらず、日々世界中が病原菌とも戦い、国の中で流行も変りゆく中で、あなたはどうやって生きていますか?
「よくわかんないやっ」て、適当にダラダラ遊んで生きてますか?
それとも「今しかない!」と、意識的に何かに集中して生きていますか?
まあ、人間どの様に生きるかは自由ですし、何からもそれは強制されてはいけません。
でも、圧倒的に面白く生きるには、「意識して生きるほう」だと私は思います。
「世界の中のあなたという今を、意識してしっかり生きる。」
そう思って熱中して生きれば、人生にハリが出来ますし、あなたの本当の人生の中のドラマが動きます。
きっと、大切な恋人とも巡り会えるでしょう。
意識して生きると、つまらなかったあなたの人生に、前向きな興奮が始まります。
フォークミュージシャンの大家:長渕剛の「友よ」という歌の歌詞にこんなフレーズがあります。
「友よ、その昔、俺たちは西日を追いかけた。」
私は、一見するとスルーしてしまいそうなこのフレーズの美しさに溶けてしまいそうです。
意訳すると、「日が暮れてゆく太陽(=終わる世界)めがけて、太陽の沈む方向へ(=終わりを目指して)、友達と青春を追いかけた」という意味です。
「大人になったら終わってしまう世界を、終わる時まで一緒に追いかけた」という意味にも取れますよね?
なんて美しい情景なのでしょうか。。。
あなたは、そんな煌めくひとときが最近ありましたか?
適当に遊んで生きたら得られない、友達との貴重な瞬間ですよ、これは。。。
この歌のように、意識して生きるから、友達との「友情」に重みが出るのです。
自分のことを強く自分だと思う。
ただそのことだけで、その人は尊いのです。
そういう自意識を大切にすることが、結局、各人の未来の人生を切り開いてくのですよ。
しかし、一生懸命に自分を意識して生きている人間へ「自意識過剰」だとバカにする言い回しが、今日の日本社会には古くから習慣的に溢れています。
「自意識過剰」。。。これ、どこ行っても聞く言葉ですよね。
大体は、過剰でもないのに、自分を意識する人目掛けて「貶す意味」で使われます。
私は、これがとんでもなく良くない社会の悪癖だと、未来の日本社会を真剣に憂慮しています。
これは言い換えれば、「出る杭を叩く」ってことです。
人類の歴史は、皆、自分を強く意識している人々が、前向きに切り開きました。
その人たちは、普通の人とは変わったことを言って、人に真似できない変わったことをするので、実はその歴史の中で、世間様にバカ扱いされてきた人の方が圧倒的に多いのです。
でも、そういう人々のお陰で、今の我々が当たり前に享受できている当たり前の心地良い生活が、成り立っているのですよ。
それを皆、知らねばいけません。
私は、自意識があるからその人のその人らしさが輝けるのだ、と確信しています。
是非皆様も、「自意識過剰」だと貶す社会の悪癖に負けず、自意識をどんどん磨き、明るい未来を叶えましょう!!!
まあ、壮大な理念の話となってしまいましたが、話は今日のお天気に戻ります。。。
「梅雨入りの大雨を美しく感じたい。」
私は表現者ですし、ただそのことの為だけに、私は自意識を研ぎ澄ましたいのです。
【俳句】
・梅雨の世の 土砂降りまみれ 夕日追う
・梅雨旅の 果てなき道の 帰着駅
・傘の下 女の尻が 夏に酔う
・酔う夏に 女は海だ 吐き捨てて
・夏酒場 グラス鳴らした いい女