新作 F10『十字架の熱情』
「第63回 港の作家展」に出展します
2024.7/30(火)~8/5(月) 横浜市民ギャラリー(桜木町)にて
YUTAKA
ESSAY
「愛されなかった」
私の歴史を振り返ると、私は家族に「愛されなかった。」
私の人生は、元家族に本当には愛されることのない人生であったと思います。
むしろ愛から離れた危険だらけの人生で、心が本当に安らかに安心できた記憶が全然ありません。
まあ、言ってみりゃあ「可哀想な奴」でした。
本当に愛があるとしたら、あるのは今の家族の妻:愛琥からの愛だけです。
もう40代中頃に差し掛かり、一般的にはオジサンの年齢となった私ですが、それでもまだ子供のように、どうしても心苦しいことを抱えています。
それは、同居している老両親との愛のない関係です。
両親は成人するまでの私を、一流高校・一流大学にも通わせて、世間的には「良い親」として私を育ててきました。
ですが本当のことを言うと、頭が良くて人気もあった私が死んだら世間的にマズイから生きさせただけで、親から私への本当の愛はほとんど何にもなかったと感じています。
親は、良く周りに「トンビがタカを産んだ」と自慢ばかりしていました。
まあ真実を言えば、父母は私を生きさせたとは思いますが、本当には私を愛しはしなかったです。
そんなの私の言い過ぎだと思いますでしょうが、実際にそうであったと正しく記憶しています。
私を愛するどころか、逆に、私を非難し、けなし、夢を挫けさせ、私に暴力を与えた記憶が蘇るばかりです。
愛の代わりに、そのように数々の苦しみを私に与え、あとは綺麗さっぱり無関心を決め込んでいたと思います。
そんなふうに私は子供時代、愛に飢えながら悲しく過ごしていました。
そして両親から人間として大切な教育は、何にもされませんでした。
親のようには将来自分がならないように、という反面教師の自習学習ばかりであったと思います。
もちろん、心のこもったプレゼントなど、一度もされたことがありません。
逆に、私が父母の誕生日などにプレゼントをあげて、子の方から親子関係を直そうと努めていましたが、一度もきちんと感謝されたことはありませんし「こんなもの要らなかったのに・・・」と吐き捨てられることもありました。
あと、私には妹が一人おりますが、この妹にも、大変な苦労ばかりさせられました。
私が成人するまでの間、妹は私の留守中に鍵をかけた私の部屋を開けて忍び込み、よく私の物を盗みました。
私の好きだった漫画やその他大切なものを平気で盗み、私に返したことがありません。
ひどい時には「借りパク」だと言って、私から盗んだ物を人に貸したり、あげたりしていました。
もちろんそれらは、私が貯めていた祖母からの小遣いやお年玉、アルバイトで稼いで得たお金で買った大事な物でした。
例えば、ある時中学校から帰ると、好きで集めていた漫画が何巻も無くなっていて、妹に問い詰めても「私じゃない!」と言って逆ギレされ、逆に暴力を受けたこともあります。
しかも母親はなんと、「盗むわけない」と、いつも盗んだ妹の味方をして、盗まれた私を怒鳴り散らしていました。
いつも私ばかりこんな目に遭わされて、悲しく一人で隠れて泣いていました。
また、大学生になって、私は自宅にパソコンがない状態でしたので、必死にアルバイトで働いて200万円程貯めたお金を使ってMACパソコン一式を買い揃えましたが、妹は私の留守中に勝手に部屋に入ってその大事なパソコンまで遊んで使い、なんとぶっ壊しました。
大学から帰ったら、モニター画面に爆弾マークが出て、再生不可能となって壊れていたのです。
自分で直そうとあらゆる手段を調べて講じましたが、結局直らず、「200万円がパー」になりました。
その時は、アルバイトで広告制作の仕事をしていまして、パソコンに顧客データと制作途中の広告データを入れていましたが、なんとその大切なデータが消失してしまい、パソコンも壊れたままで制作物も納期に間に合わず、会社から仕事をクビにされてしまいました。
その時、私がどんなに悲しくて悔しかったことか。。。今でもその悲しみを想い出します。
このように私は元家族に、とんでもなく苦しい目に遭わされて生きてきました。
また、人間として大切なことを教わったことは、反面教師以外、何一つありませんでした。
むしろ、私に教えてくれたのは、「人の憎しみ方」でした。
そんな私が、今こうして「人を愛すること」を教える立場をしながら、芸術家をしているのは全くもって奇跡ですよ。
自分の心を明るく努める絶え間ない努力や、絶えざる前向きな行動をずっと続けてきたおかげで、ここまで自分を「愛の人」として開拓できたと、私は私を自認しています。
・・・だって、私のことなんか、私の歴史の中で、周りの誰も助けてくれやしなかったからです。
親戚も、教師も、教会の人々も、まるで何にも助けてくれなかった。
またこれらの人々も、むしろ私をいじめていましたから、中と外のダブルのいじめの人生でした。
家の中でも、外でもいじめられて、どこにも逃げ場がなく安心できない生活を今まで歩んできましたよ、私。
「よく、自分を自分で殺めずに、諦めなかった!」と、自分を今、改めて褒めてやりたいです。
【俳句】
・夏の海 愛なき果ての 逃避行
・愛されず 被害ばかりの 夏景色
・されただけ 謝られずの 彼岸花
・愛亡くし 天界だけの 曼珠沙華
・夏の朝 怒鳴り散らした 父の陰