カトリック瀬田教会
YUTAKAと愛琥:亀ケ谷夫妻
ESSAY
「私の霊名『ミカエル・マリア』」
今朝は私の所属する大好きなカトリック瀬田教会へ行って、妻:愛琥と一緒に夫婦で朝ミサに与りました。
先週が美術団体での会議のために行けず、二週間ぶりのミサ参加となりました。
やはり日曜日の早朝から朝ミサに参加して、集団で祈りの言葉を唱えたり聖歌を熱唱して、命懸けで神様に祈ることは気持ち良いですね!
この地球上の人間界の時間は「東の国」から太陽が早く昇って始まりますので、つまり世界地図の東最果ての国「日本」で、私が所属信徒として参加するここ「カトリック瀬田教会」の朝ミサの祈りから世界中の全教会のミサの祈りが次々にリレーのように始まるのだ、と私は考えています。
つまり、我がカトリック瀬田教会は世界中の祈りの先駆け的存在でしょうね!
そう思うと、瀬田教会を心から誇りに思います。
さて、私は霊名を「ミカエル・マリア」と言い、愛琥は「マリア」と言います。
霊名とは、洗礼時にカトリック教会から戴くキリスト教として世界で通用するお名前のことです。
元々、私はクリスチャンになる前から、聖母マリアがなぜだか大好きでした。
若かりし頃はマリア様が好きすぎたために、それが精神の病気だと疑われ、おかしな目で見られた事もしばしばありました。
「私が洗礼を授かり、正式にクリスチャンになれたら、自分の霊名に「マリア」を名前につけたい!」
そう、クリスチャンになる前から強く強く思い込んでいました。
でも実際、「マリア」の名前を男に付けるとなると男性名詞「マリオ」になると知り、それでは嫌だと「大天使ミカエル」を「マリア」の前に持ってきて、「ミカエル・マリア」と私が霊名を考えました。
普通、そんな霊名はありませんし、私が名前を作ったんですよ。
実は男性の場合は、霊名として2個の名前を『~・~』と前後してくっつけると、後部2個目の名前は呼び方が変わらないのです。
「マリオ」じゃファミコンキャラみたいで絶対に嫌ですし、「マリア」の名前を「マリア」のまま、自分の生涯を通す霊名になんとか付けたいと考えた末、神父にしつこく問い詰めたところ、そうであると分かったのです。
そもそも、自分で作った名前なんかを霊名にして良いのか疑問でしたが、私の教会代父のYさんに伺いましたら「自分で考えたほうが霊名は尊い」と仰ってくれて、大丈夫な上に褒められました。
そうして「ミカエル・マリア」を思い付いて、私が天に入っても使う「終世の名前」といたしました。
しかし「ミカエルとマリア」じゃ「男と女」となるし、「オカマみたいで変だ!」とキリスト教恩人のAさんに最初は言われましたが、私の意思で通しました。
実はこの名前は、ただ単に思い付いただけでなく、新約聖書の終章にある「ヨハネの黙示録」から発想を得ました。
黙示録には、「聖母マリア」と「大天使ミカエル」が登場し、その二人の関係が暗示物語的に語られています。
【俳句】
・聖ミカエル祭 聖母と組んだ 神の御名
・仲秋や 天使と聖母 星救い
・秋麗に 大和男は 着流して
・集えるや 大和撫子 呉服店
・錦秋や 目に沁み渡る 着物帯
・秋高し 天舞う鷹の 貫禄や
・清秋や 晴れ着で遊ぶ 観光地
・白鷺や 多摩川遊び 彼の地飛ぶ